ブラジルで働くデータサイエンティストのブログ

ブラジルでデータサイエンティストしてる僕の日記。データサイエンスネタは多分書かない。

安価な海外生活アピールを見るときの注意点

Twitterやらを見てると、『とっても安い海外生活。少しでもお金を稼げれば大丈夫。生きていける。』みたいなのをたまに見るので、平均月収6万円くらいのブラジルに住む僕が感想を書いてみる。


まず、たまに見ると書いたツイートの類を簡単にまとめるとこんな感じ。


1. 生活コストの低い国
2. 国民の平均収入も低い
3. 適当に数万円の収入をブログとかで得て、楽しく暮らせる


つまり、『生活コスト、国民の平均年収が低い』ので、『少額の収入で暮らせる』ということだ。


実際の文脈だと、『生活のコストが低く、少額の収入で暮らせる。具体的には、国民の平均年収が○○万円でも生活できているレベルだ。』と使われる。


生活のコストってのは具体的な額として出し辛いことや、出されてもピンときにくいので、収入を具体的に出すことで、生活コスト、必要な収入を説明している。罠が潜んでいるのは『平均年収』の部分だ。


ここで、その国の国民の収入を挙げて、生活コストのスケールを具体的に示しているわけだが、これを外国人の生活に適用して考えるのは非常に危険だ


理由をいくつか書いていく。


一つ目。外国人はその国におけるライフハックを知らない。どの国でも、『上手く』生きていくための知識、コツというものがある。外国人はその辺をカバーするのに幾分時間がかかる。簡単な例なら、安く物を買えるスーパーの存在に関する知識などになるだろう。食べるのも寝るのも移動するのも、現地のノウハウを知ってるのと知らないのとではかかるコストは大きく異なる。


二つ目。外国人は助け合いを行うローカルコミュニティの外の存在である。ローカルコミュニティとは書いたが、かならずしも土地に根ざしたものではなく、血縁、婚姻に基づくコミュニティも含められる。一つ目の理由に比べるとこちらの方が大切。ブラジルがそうであるというだけで、あらゆる国に当てはめて考えるのは良くないが、僕の感覚では、生活コスト、収入の安い国ほどローカルコミュニティへの依存度が高い。学生の頃に地理かなんかの授業で見た気もするし、それっぽい理由を挙げることもできるが、データを見てないので『気がする』というレベル。つまり、感覚、感想レベルの話だが。


収入が低いと困ることは多々あるわけだが、それでもどうにか生きていく分には足りているとして、一番の問題はリスクに対する弱さだ。何か出費が嵩むような問題があればすぐに立ち行かなくなる。


そういった状況の中でも、広義のローカルコミュニティはある程度の相互扶助で問題を一時的に凌ぐ。シンプルに誰かがお金を貸してくれたりするわけだ。


だが、外国人はそれを得られない。生活コストが低く、国民の収入が低い国において、平均程度の収入での暮らしは決して余裕はない。何かしら、良くないイベントが起きてしまえば、簡単にお金の面でどうにもならなくなる。そして、周りからの手助けは極めて得にくい。


その国の人間の収入というものを外国人が生きていく上での十分収入と考えてはいけない。彼らは、外国人が使えない、お金以外の要素でのリスクマネージメントを行なっているのだ。


長々と書いたが、結局言いたいことはシンプルだ。『現地の人は〜』で補強されている文を見たら、外国人が使えない要素をきちんと差し引いて情報を読みましょうってことだ。