ブラジルで働くデータサイエンティストのブログ

ブラジルでデータサイエンティストしてる僕の日記。データサイエンスネタは多分書かない。

国際結婚で感じる役割分担の難しさ

当たり前だが、国際結婚にはメリット、デメリットがある。
僕が個人的に感じている最も大きい問題は、役割分担の難しさだ。

どういうことか、『これは僕が得意だから僕がやるよ。それは君が得意だから君がやっといてくれ。』みたいなやつだ。

人間にはみんな得手不得手がある

人間、みんな、得手不得手がある。当たり前のことだ。

極めて様々なことをこなせるスーパーマンのような人間ももちろんいなくはないが、大抵の人間はそうではないし、多くの人間にとって、得手なことはやっていても苦が少なく、不得手なことは苦が多くなる。

家族なりなんなりのグループでいれば、その得手不得手に合わせて役割を分担していくのも普通のことだろう。

具体的に、役割分担の難しさとは?

僕のケースで言えば、国際結婚によって、この役割分担の柔軟性に制限が掛かってしまっている。

僕の場合は、僕が日本人で妻がブラジル人、現在はブラジル住みだ。僕は書類関係などの実用系の物には少し口煩く、妻はその辺はおおらかだ。
得手不得手で分けるのであれば、何かしらの手続き関係の物は全部僕がやった方が安全だし、妻も楽だ。だが、そういう役割分担は難しい。
ブラジルでポルトガル語で書かれた、前提条件のわからない書類を相手にすると、間違いなく、妻の方が安全に、素早く終わらせる。

人の得手不得手よりも文化の違いのほうが大きく、本来なら成立する役割分担ができなくなってしまっているのだ。

役割分担の難しさは何に繋がるの?

国際結婚によって生じた関係の中では、本来なら成立する効率に基づいた役割分担は難しくなる。
加えて、重要な場面ではやはり、現地人側の意見、責任を多く取ることになる。文化を熟知しない人間の選択は何かしらの危険を含む。そうである以上、現地で生まれ育った側の責任というのはどうしても大きくなってしまう。たとえそれが、現地人側の人間が個人的に不得手な分野の話であってもだ。

無論、外国人である側が、文化を勉強していくことで、この不平等、不便さは幾分は緩和されるわけだが、それでも完璧には行かない。
考えてみてほしい。僕に子供ができたとして、子供を私立に行かせるか、公立に行かせるかなどと考えた時、僕はもちろん資料と情報を集めることができるわけだ。それでも、現地での就学経験がなければ、どうしても選択に自信を持つことはできない。結局、最後の一歩で一番大切なのは現地人である妻の意見になってくる。たとえ、妻が、その辺の情報収集や決断に不得手であってもだ。
つまり、選択における妻の責任がどうしても大きくなってしまうのだ。

これは、役割分担の難しさから責任の不平等が生じてしまっている。

国際結婚の際にわかっていなければいけないこと

国際結婚において、『国を離れて大変で、気を使ってあげないと。。』というのをよく聞く。
その通りだ。自国を離れて、異なる文化の中で適応していくのは必ずしも簡単なことではない。彼らに対する気遣いというのは大切なことだろう。

それと同時に、そのように外国人と結婚した現地人側の負担というのも決して軽くないことは忘れてはいけないのだろう。重要な場面で、文化的な知識を必要とする問題に関して、どうしても頼りなさが出てしまう外国人との生活では、あらゆる選択で大きいプレッシャーを現地人側が感じうるのだから。