ブラジルで感じる『力こそパワー』
日本に住んでいれば、『学歴社会』という言葉は一度や二度は最低でも聞く。辞書的な意味は調べたことはないし、使用される文脈で含むところが変わりそうなのであんまりその辺は深入りはしない。
とはいえ、社会から流れてくる情報から『日本は、学歴や職歴などの要素で生き方を操作しやすい社会なのかな』くらいには感じていた。
もうちょっと整理する。
日本は比較的、学歴、職歴、お金などのラベルづけもしくは計量可能な要素によって生き方を操作しやすい国なのかと思っていた。
『思っていた』と書いたように、今はあまり思っていない。理由は簡単で、僕のいる国、ブラジルは上に挙げた要素で人生のかなりの部分を操作可能であると感じているからだ。
簡単に書くとこんな感じ。
ブラジルだと、
学歴ある→色々うまくいく
職歴ある→色々うまくいく
能力ある→色々うまくいく
お金ある→色々うまくいく
コネある→色々うまくいく
日本でも学歴やら職歴やらお金やらは結構大切なわけだが、それでも人生うまくいかないときはうまくいかない。そりゃそうだ。
もちろん、ブラジルでもうまくいかないときはうまくいかないわけだが、上記の要素の何かしらを持っていれば、うまくいかなかった時のリトライコストが低く、結果としてリカバリが楽な印象だ。なので、結局、上の要素のいずれかを満たしてればなんだかんだ色々うまくいく。
僕にとって、ブラジルは、特定の要素のいずれかを満たしておけば、未来予測を立てやすく、人生難易度を調整可能な国だ。そういった意味では方向性を誤っていない努力が実を結びやすい国であるように思う。